Vision & History

  • 立野原黄金の丘構想

     立野原が「果実の郷」となる構想の拠点となるワイナリーに

     その他観光拠点とする施設は木造建築を基本に

     地域の人たちの交流拠点の創出

     立野原一帯を「芸術村」と位置付け、アトリエや音楽のレッスン場などを構え、芸術家を呼び込む

     村のあちこちにモニュメントを設置

     村全体を美しく、統一されたイメージで構築

     立野原での新規就農者や個人事業主を支援

  • 立野原(TATENOGAHARA)のブランド化推進。

  • カフェの設置と地場産品の創作・ブランド化。

  • 地域に招聘する芸術家支援のためのギャラリー、ミニ・コンサートホールなどの運営。

  • パン工房とチーズ工房の誘致。

その他の活動

「ひとり親家庭」の支援。
富山ワインの魅力や文化を周知するための講習会やワイン会の開催。
トレボー・アンバサダーとトレボー騎士団の叙任。
※弊社の活動は立野原包括協定と立野原TWS会(トレボー・サポーター)の会のご支援を頂いています。

ドメーヌ・ボーのSDGsの取り組み

SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。そもそもどう発音するかというと、SDGs(エス・ディー・ジーズ)です。
SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。

ドメーヌ・ボーもSDGsの取り組みに賛同し、活動していきます。

貧困をなくそう

ドメーヌ・ボーでは貧困をなくすほど大きな事業を展開することは難しいですが、長く「ひとり親家庭」の支援を続けています。夏休みとクリスマスに市役所の担当部署に我々からの支援金をお届けしています。ほかに、芋ほりへの招待、レストランへの招待などを実施しています。
「子ども食堂」への支援もしています。支援金とお米や野菜、ジュースなどの支援をしています。

働きがいも 経済成長も

ブドウを出来るだけ自然な状態で育てること、ワインを丁寧に造ること。高みを目指しながら、良識をもってモノを育て造ることを通して働き甲斐を感じ、販売や流通、ワイン文化などの啓蒙を通して経済成長に寄与していきます。

住み続けられるまちづくり

我々のワイナリーのある地域は中山間地。過疎化が少しずつ進んでいく中で、美しいロケーションを維持し、人との交流を促進しながら住む人たちの心がつながっていると感じられる街づくりに参画していきます。

つくる責任 つかう責任

持続可能なできるだけストレスのない自然な生産を心掛けることで、消費者に気持ちよく使ってもらえるようにしていく。生産にかかわる資材においても、消費する人に対して責任をもって選んでいきます。

陸の豊かさも守ろう

ありのままの自然から生み出されるワインですから、畑を取り巻く環境を健全に維持し豊かさも守っていかねばならない。そうすることで、川も海もそしてそこに住む生き物すべてが健康でありたいと願っている。その中から、真に美しいピュアなワインが生まれるのです。

ワイナリードメーヌ・ボー設立物語

ドメーヌ・ボーの創立者、中山安治。45年間ワインと日本酒販売一筋だった男は今、希望に満ち溢れ新たなワイナリー・ビジネスに挑む。だが、その道のりは決して平たんではなかった。

事業に失敗、生死をさまよう

酒の安売り競争や酒類販売免許緩和などが暗い影を落とし始めた時代、中山自身の酒屋ビジネスも困難を極めていた。さらに同時期に別の事業にも失敗、自身には癌が発覚し、命の意味を自問自答する日々が続いた。

幸いにも一命をとりとめたことで、中山は第二の人生の意味を考えるようになる。「教員の息子だった自分が酒屋になった意味とはなんなのか。自分の使命は」。そんなある日、1本の「体が痺れるほど素晴らしいワイン」に出合う。その時中山は、雷に打たれたように次に自分が歩いていくべき道が見えたという。「そうだ、酒を売るのでなく、その魅力を伝える伝道師として生きていこう」。

ワイナリーを作ることで地域への恩返しを

では、どんな形で酒の魅力を伝えるのか。そう考えたとき、改めて自分はこれまで地域の多くの人々に支えられてきたことに気づいた。それなら、自分が死んでも100年、200年先まで残るワイナリーを作り、ワインの魅力を伝えることで地域振興に貢献し、彼らに恩返しをしよう。そう思い立ち、ワイナリー建設の準備を始めた。2018年、中山が67歳の時だった。

建設の候補地としたのは現在ドメーヌ・ボーのある立野原丘陵。だが戦時中に演習場だったこの地は当時民家もなく、後継者不足で耕作放棄地が点在し、荒れた景色が広がっている場所だった。地元の人々にとっては、目をそらして通り過ぎたくなる場所。そんな土地の魅力に中山が気付いたのは、同じ富山県でも少し離れた高岡市出身だったからかもしれない。彼にとって美しい山並みに囲まれ、緩やかにうねるスロープの只中にある立野原は「宝の山、まさに黄金の丘」に見えたのだという。

情熱は伝播する

ワイナリー設立にはブドウを育てる畑が必要だ。中山は畑の取得と賃借のために奔走したが、当初は見向きもされなかった。同じ県出身でも立野原の人々にとって中山はよそ者だったからだ。「ワイナリーを建てる?本気か?」「あいつは何をやっているかわからない」。そんな陰口をたたかれる日々が続いた。だが中山の情熱は決して消えることはなかった。1人、また1人と説得し少しずつ畑が増えると、耕作放棄で荒れていた土地は美しい緑の区画へと生まれ変わっていった。その変化を最も敏感にとらえたのは、地元の人々だった。

ある秋の日、事務所に1人の老人が訪ねてきた。「私は、この地域の古い町会議員でした。この地域がどんどん過疎化し廃れていくのを見ているのが忍びなくて。でも中山さんが来てくれたことで、立野原はこんなに美しく甦りました。どうしても感謝の気持ちを伝えたくて来ました。ありがとうございました!」彼はただそう言って深々と頭を下げ、帰っていったのだ。ようやく、自分の情熱がこの地域に伝わった、中山がそう確信した瞬間だった。

それから力を貸してくれる人の輪は一気に広がった。彼らは自発的にチーム・トレボーを結成、開業までの資金調達法などに知恵を貸してくれるようになった。そう、情熱は伝播するのだ。もう中山は1人ではなかった。地域の人々が一丸となって後押しし、彼をドメーヌ・ボーの開業に導いた。2020年には醸造棟が完成、ドメーヌ・ボーのファースト・ヴィンテージが出来上がった。その日の景色、感動を中山は忘れることができないという。そして、中山は今も「地域への恩返し」のため、この地の美しさを映すワインづくりを目指す。

トレボーへの支援者の皆様

寄付者

63名

預託

38名

クラウドファンディング

108名

 ブドウの樹のオーナー

800名

ドメーヌ・ボー、サポーター会員

240名

ドメーヌ・ボーは1,000名を超える皆様からご支援をいただいており、全員のお名前を社内のワイナリー醸造棟の壁に掲示しています。