• 「立野原コート・ドール」構想の実現。

    • 立野原を「果実の郷」にする構想の拠点とする
    • 基本的に観光拠点の施設は木造建築でありたい
    • 地域の人たちの交流拠点とする
    • 立野原一帯を「芸術村」と位置付けて、アトリエや音楽のレッスン場などを構える芸術家を呼び込む。村のあちこちにモニュメントの設置
    • 村自体が、インスタ映えのする統一されたイメージの村にしていく
    • 新たに立野原で農業や小さな事業をする人の支援をする

  • 立野原(TATENOGAHARA)のブランド化の推進。

  • カフェの営業と地場産品の制作、ブランド化。

  • 地域に招聘する、芸術家支援のためのギャラリーやミニ・コンサートホールの運営。

  • パン工房とチーズ工房の誘致。

  • 微力ながら「ひとり親家庭」の支援を続けます。

  • 南砺市をワイン講習会やワインの会を通してワインの魅力や文化を広めていきます。

  • 地域からの支援を受けています。

    立野原包括協定と立野原TWS会(トレボー・サポーター)の会。

  • トレボー・アンバサダーとトレボー騎士団の叙任。

ワイナリーDomaineBeau建設物語

私(D.Beau社長の中山)は45年間ワインと日本酒の販売する店を経営してきました。

その途中に、別の事業も手がけましたが失敗。癌を患って九死に一生を得ました。

酒屋ではたくさんのお取引先に恵まれた商いをしていましたが、お酒の安売りの横行や酒販免許の緩和などがあって酒屋としての存続が難しくなりました。

その頃体が痺れるほどおいしいワインに出会ったこともあって、スーパーや量販店で売らないワインと地酒を販売する店に特化しました。

しばらくは大変でしたが、ヨーロッパ直輸入のワインを販売したり、地元の酒蔵に絞った販売をすること、ワインや酒情報の「伝道師」になることで道を開いてきました。

そのワインショップを息子に譲って、一人になって考えました。

「今まで、多くのお客様や地域の皆様に支えていただいたので、これからは地域や皆さんに『恩返し』をしよう。」

そう考えると、自分が死んでも100年、200年続くワイナリーを作る事が、1番の恩返しになると思い動き始めました。

そこで、ワイナリーの場所を探し、南砺市の丘陵地、今の「立野原(たてのがはら)」に決めました。

すぐに、共同経営を申し出てくれた五天会長とともに、南砺市長田中幹夫様に会い私の計画を聴いてもらいました。

田中市長はすぐに部下を呼び数人のワイナリー建設協力チームを造ってくださいました。その後、富山県からも協力チームができて10数名の「チーム・トレボー」という実働部隊が行政の皆さんで出来上がりました。

「中山さん、何でも指示を出してください。私たちは中山さんの夢をかなえるために集まったメンバーですから、寝ないで働きます!」と涙が出るほどうれしいことを言ってくれました。

それから、農林水産省や総務省の助成金をいただき、日本政策金融公庫からの融資の申し出もあり体制は驚くほど速く、確実に整っていきました。

2019年にブドウの樹を植え、20年には醸造棟も準備し、初醸造もできました。

地域への「恩返し」のつもりで始めた事業が、またもや地域の皆さんのお世話になり、恩返しどころではないくらい助けていただきました。

そんな訳で、南砺市のワイナリーD.Beauは、地域と行政の皆さんのおかげで造っていただいたワイナリーと言えます。

私もそのことはしっかりと肝に銘じて、今まで以上の「恩返し」をしていく想いでいます。